能登半島地震で富山の津波はなぜ早かった?海底地滑りと避難の課題

2024年元日の能登半島地震。富山県で観測史上初の津波警報が発令され、わずか3分で第一波が到達しました。なぜこれほど早かったのか?海底地滑りの可能性や車避難の課題、今後の備えについて徹底解説します。あなたは次の地震で正しく逃げられますか?
能登半島地震と富山の津波:重要ポイント
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史上初の津波警報

富山県では観測史上初めて津波警報が発令され、沿岸部は緊迫した状況に包まれました。

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到達までわずか3分

震源から距離があるにもかかわらず、富山市などへは地震発生から数分で津波が到達しました。

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車避難による大渋滞

多くの人が車で避難しようとした結果、各地で深刻な渋滞が発生し、避難の遅れが懸念されました。

能登半島地震で富山を襲った津波

能登半島地震で富山を襲った津波
2024年1月1日、元日の夕方を襲った令和6年能登半島地震は、富山県に住む私たちにとって決して忘れられない衝撃をもたらしました。最大震度5強という激しい揺れに加え、富山県沿岸には「津波警報」が発令されました。富山湾は比較的静かな海だと思われてきましたが、今回の地震はその認識を覆すような事態を引き起こしました。特に注目すべきは、地震発生から津波到達までの「時間」の短さと、避難行動における「車」の課題です。この記事では、なぜ富山でこれほど早く津波が到達したのか、その独自のメカニズムや、実際に発生した避難時の混乱について深掘りしていきます。

 

参考リンク:令和6年能登半島地震に係る富山県復旧・復興ロードマップ(富山県公式)

[発生] 観測史上初の津波警報とわずか3分の到達

 

今回の地震において、富山県民を最も震撼させたのは、間違いなく「津波警報」の発令とその到達スピードでした。気象庁の記録によると、富山県に津波警報(大津波警報を含む)が発表されたのは、現在の警報システム運用開始以来、また1993年の北海道南西沖地震での対応を除けば、実質的に観測史上初のことでした。これまで「富山湾は深くて津波は来にくい」といった根拠のない安心感を持っていた人も多かったかもしれませんが、その神話は完全に崩れ去りました。

 

特筆すべきは、その到達時間の早さです。通常、震源が能登半島北部であれば、富山湾の奥部にある富山市や高岡市に津波が到達するまでには、一定の時間がかかると想定されていました。しかし、実際には地震発生の16時10分からわずか3分後には富山市の検潮所で第一波が観測されています。これは、私たちが緊急地震速報を聞いて、「揺れが収まったな」と一息つく間もなく、すでに波が岸に到達していたことを意味します。

 

この「3分」という数字は、避難行動を考える上で極めて残酷な時間です。冬の夕方、すでに日が落ちかけている中で、避難準備をして家を出るだけで数分はかかります。もし沿岸部にいて、「警報が出てから逃げよう」と考えていたら、到底間に合わなかった可能性があります。この事実は、富山県における津波防災の常識を根本から見直す必要性を私たちに突きつけました。警報を待つのではなく、「揺れたら即座に高台へ逃げる」という原則がいかに重要であるか、改めて浮き彫りになったのです。

 

また、第一波の観測後も、数度にわたって押し寄せた波は、地形の影響を受けて複雑に反射・増幅し、長時間にわたって海面変動が続きました。最初の波が小さくても、後から来る波が大きくなる「後続波」の危険性も確認されており、一度避難してもすぐに戻ってはいけないという教訓も残しました。

 

参考リンク:2024年能登半島地震での沿岸部居住者による津波からの避難行動(土木学会論文)

[原因] 富山湾の海底地滑りが加速させた津波の脅威

なぜ、震源から離れた富山市にこれほど早く津波が到達したのでしょうか。その原因として専門家が指摘しているのが、富山湾特有の地形と「海底地滑り」の発生です。これは単なる地震の揺れによる津波(断層のずれによる海水の押し上げ)とは異なる、より局所的で予測が難しい現象です。

 

富山湾は「あいがめ」と呼ばれる急峻な海底地形が特徴で、岸からわずかな距離で水深が1000メートル近くまで落ち込む、世界でも珍しい地形をしています。この急斜面には、普段から河川によって運ばれた土砂が不安定に堆積しています。今回の能登半島地震の激しい揺れによって、この海底斜面の一部が崩落し、大規模な地滑りが発生した可能性が高いことが、海上保安庁や大学の研究チームによる調査で明らかになりつつあります。

 

具体的には、富山市沖の海底で、長さ約500メートル、幅約80メートルにわたる斜面の崩壊痕跡が見つかっています。海底で地滑りが起きると、その上の海水が急激に変動し、即座に津波が発生します。このメカニズムで発生した津波は、震源地からの距離に関係なく、地滑り現場のすぐそばにある沿岸部を数分で襲うことができるのです。

 

これが「3分到達」の正体だと考えられています。通常の断層型津波であれば、能登半島の北側を回り込んで富山湾に入ってくるまでに時間がかかりますが、湾内の目の前で津波が生まれたのであれば、逃げる時間はほとんどありません。この「海底地滑り型津波」は、事前の予測が非常に難しく、現在の緊急地震速報や津波警報のシステムでも即座に正確な予測値を出すことが困難な場合があります。

 

富山県民にとって恐ろしいのは、この海底地滑りが富山湾のどこでも起こり得るということです。今回は富山市沖でしたが、魚津や滑川、入善といった他の沿岸部でも同様の急深な地形が存在します。「震源が遠いから大丈夫」ではなく、「足元の海が崩れるかもしれない」という危機感を持つ必要があります。これは、富山湾という恵まれた漁場を持つ地域の、避けては通れないリスクなのです。

 

参考リンク:富山湾の海底で長さ500m、幅80m斜面が崩壊(読売新聞)

[避難] 車避難が招いた大渋滞と徒歩避難のジレンマ

今回の地震避難において、最も深刻な課題として浮き彫りになったのが、「車避難」による大渋滞です。富山県は全国でも有数の車社会であり、一家に一台以上の自家用車があるのが当たり前の生活環境です。そのため、地震発生直後、多くの住民が反射的に車に乗り込み、避難所や高台を目指しました。

 

しかし、その結果発生したのは、身動きが取れないほどの大渋滞でした。特に、国道8号線や主要な幹線道路、高台へと続く一本道には車が殺到し、全く進まない状況が長時間続きました。津波からの避難において、渋滞で停止してしまうことは死に直結する危険な状態です。もし、予想を超える巨大津波が来ていたら、車の中に閉じ込められたまま多くの命が失われていたかもしれません。東日本大震災でも、車避難による渋滞で犠牲者が出た教訓がありますが、今回の富山でも同様のリスクが顕在化したのです。

 

アンケート調査や人流データの分析によると、避難した人の約8割が車を利用していたというデータもあります。住民の心理としては、「冬の寒空の下を歩くのは辛い」「高齢者や子供がいるから歩けない」「車なら遠くへ逃げられる」という判断が働いたのは理解できます。しかし、全員が同じ行動をとれば、道路というインフラは一瞬でパンクします。

 

行政の防災計画では、津波避難の原則は「徒歩避難」です。しかし、現実は理想通りにはいきませんでした。ここで重要なのは、「絶対に車を使うな」と頭ごなしに否定することではなく、「車を使わざるを得ない人(要配慮者など)」のために、健常者は徒歩で逃げるという「避難のすみ分け」を徹底することです。また、車で逃げる場合でも、遠くの避難所を目指すのではなく、とりあえず近くの高いビルや高台へ向かうなど、移動距離を短くする工夫も必要です。

 

渋滞の中、ラジオから流れる「津波到達」の報を聞きながら、ハンドルを握りしめて恐怖を感じた人も多かったはずです。この経験を風化させず、「次はどうするか」を家族や地域で話し合うことが求められています。徒歩で避難できるルートはあるか、車を使うならどのタイミングで乗り捨てるか、具体的なシミュレーションが必要です。

 

参考リンク:令和6年能登半島地震の避難行動を人流データで検証(株式会社unerry)

[被害] 氷見市や射水市で確認された浸水被害の実態

津波による直接的な被害についても、目を背けることはできません。能登半島に位置する氷見市や、港湾機能が集積する射水市、そして富山市の沿岸部では、実際に津波による浸水や遡上が確認されました。

 

氷見市では、沿岸部の住宅地や道路に津波が押し寄せ、床下・床上浸水の被害が発生しました。報道映像でも、川を逆流する黒い波や、港の岸壁を超えて海水が市街地に流れ込む様子が捉えられています。震源に近い能登北部に比べれば高さは低かったものの、それでも生活圏に海水が侵入することの破壊力は凄まじいものです。塩水に浸かった家屋は、後のカビや腐食の原因となり、復旧には長い時間がかかります。また、漁船や港湾設備の破損も相次ぎ、地域産業である漁業にも大きな打撃を与えました。

 

射水市の新湊エリアなどでも、内川周辺や港湾部で水位の上昇が見られました。ここで注目すべきは、「液状化現象」との複合被害です。埋立地や砂地が多い富山県の沿岸部では、激しい揺れによって地面から泥水が噴き出す液状化が多発しました。道路が波打ち、マンホールが隆起し、家屋が傾く被害が出ている最中に、津波警報が鳴り響いたのです。足場が悪く、道路が寸断された状況での避難がいかに困難であったか、想像に難くありません。

 

また、今回の津波では、漂流物による被害も懸念されました。富山湾には定置網漁具や木材などが多く、これらが津波に乗って陸地に押し寄せると、凶器となって建物や人を傷つける恐れがあります。幸い、今回は壊滅的な人的被害は免れましたが、もし津波の規模があと数メートル高ければ、氷見や射水の風景は一変していた可能性があります。

 

「富山の津波は大したことなかった」と結論づけるのは早計です。今回は「たまたま」この規模で済んだに過ぎません。海底地滑りの規模がもっと大きければ、あるいは満潮時刻と重なっていれば、被害はさらに拡大していたでしょう。実際に水が来た場所、来なかった場所をハザードマップと照らし合わせ、自分たちの住む土地のリスクを再評価することが、復興への第一歩となります。

 

参考リンク:令和6年能登半島地震災害対応検証報告書(富山県)

[備え] 次の災害に備えるためのハザードマップと垂直避難

今回の能登半島地震は、私たちに多くの課題を突きつけましたが、同時に未来へ命をつなぐための貴重な教訓も与えてくれました。次の災害はいつ来るかわかりません。もしかすると明日かもしれないのです。私たちが今すぐにできる「備え」とは何でしょうか。

 

まず最も重要なのは、ハザードマップの再確認です。今回の地震を受けて、各自治体では津波想定の見直しや検証が進められています。自宅や職場が浸水想定区域に入っているかどうか、もう一度最新の情報を確認してください。特に、「ここまで水は来ないだろう」という思い込みを捨てることが大切です。富山湾で海底地滑りが起きれば、想定外の速さで津波が来ることを私たちは知ってしまいました。

 

次に、避難場所の選定です。先述の通り、車での遠距離避難はリスクが高いことがわかりました。そこで重要になるのが「垂直避難」です。遠くの高台へ逃げる時間がない場合、近くにある頑丈な鉄筋コンクリート造のビルやマンションの3階以上へ逃げるという選択肢です。津波避難ビルに指定されている施設を普段からチェックしておき、いざという時はそこへ駆け込む。これが、到達時間が早い富山湾の津波から生き延びるための有効な手段となります。

 

さらに、冬場の避難ならではの備えも必要です。今回の地震は元日の夕方に発生し、雪も降る寒い時期でした。避難所での寒さは命に関わります。非常持ち出し袋には、防寒アルミシートや使い捨てカイロ、厚手の靴下などを必ず入れておきましょう。また、車に閉じ込められた場合に備えて、車載用の防災グッズ(携帯トイレや水、毛布)を積んでおくことも、車社会の富山では必須の備えと言えます。

 

最後に、家族との情報共有です。通信規制で電話が繋がりにくくなった時、どうやって安否を確認するか。SNSや災害用伝言ダイヤル(171)の使い方を練習しておきましょう。「揺れたらすぐに、てんでんこ(各自ばらばらに)で高台へ逃げる」という約束を家族で交わしておくことが、結果として全員の命を守ることにつながります。

 

能登半島地震の記憶が鮮明な今こそ、行動を起こす時です。防災グッズを買い揃えるだけでなく、実際に避難ルートを歩いてみる、家族で話し合うといった具体的なアクションが、あなたと大切な人の未来を守る盾となります。

 

参考リンク:令和6年能登半島地震「富山市復旧・復興ロードマップ」(富山市)

 

 


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